武器になる哲学 第2章 「組織」に関するコンセプト
本日は第2章です。紹介されたのは以下の10のコンセプト。
15 マキャベリズム -非道徳的な行為も許される。ただし、より良い統治のためになら
ニコロ・マキャベリ
16 悪魔の代弁者 -あえて「難癖をつける人」の重要性
17 ゲマインシャフトとゲゼルシャフト -かつての日本企業は「村落共同体」だった
フェルディナンド・テンニース
18 解凍=混乱=再凍結 -変革は「慣れ親しんだ過去を終わらせる」ことで始まる
クルト・レヴィン
19 カリスマ -支配を正当化する三つの要素「歴史的正当性」「カリスマ性」「合法性」
20 他者の顔 -「わかりあえない人」こそが、学び舎気づきを与えてくれる
21 マタイ効果 -「おおよそ、持っている人は与えられていて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるだろう」
ロバート・キング・マートン
22 ナッシュ均衡 -「いいやつだけど、売られた喧嘩は買う」という最強の戦略
ジャン・ナッシュ
23 権力格差 -上司は、自分に対する反対意見を積極的に探せ
ヘールト・ホフステード
24 反脆弱性 -「工務店の大工さん」と「大手ゼネコンの総合職」はどちらが生きのびるか?
ナンシーム・ニコラス・タレブ
本書自体が要約にも至らない、一エッセンスのつまみ食い的な紹介であっても、やはり一読しただけでは、身にしみないですね。
こうして目次を読み返しても主旨を忘れているものが。。
個人的に興味深かったのは、悪魔の代弁者、解凍=混乱=再凍結、カリスマ、他者の顔、あたりです。
エピソードとして、一番、印象に残ったものをご紹介します。
16 悪魔の代弁者 -あえて「難癖をつける人」の重要性
ジョン・スチュアート・ミル
"悪魔の代弁者とは、多数派に対して、あえて批判や反論をする人のことです。"
”ここでいう「あえて」とはつまり、もとより性格が天邪鬼で多数派の意見に反対する人ということではなく、そのような「役割」を意識的に負うという意味です。”
とある判断の局面で、「本当にそれで良いのか?」という批判的に内省を繰り返す態度を取れると、重大な局面でこそ判断を誤らず、破滅を回避できる、そういう能力だと思います。
楽観的でいたっていいじゃん、そういう生き方もあるでしょ。何て考えている人は災害発生時や人生の重大局面で取り返しのつかないい判断ミスを犯したり、してしまうものです。。将来、とてつもない業を負うリスクがある、とも言えます。
この"意図的に"悪魔の代弁者になれる、というところがとても肝な気がしました。
「ここが重大な判断局面だ。安易に判断してはいけない」そういう心のアラームはどうやってかけていくものでしょう。
ジョン・スチュアート・ミルの主張は、そうした個人の人生に置ける話ではなくて、健全な社会には「反論の自由」が必要だ、という主張だったようです。
"自分の意見に反芻・反証する自由を完全に認めてあげることこそ、自分の意見が、自分の行動を指針として正しいと言えるための絶対的な条件なのである。全知全能でない人間は、これ以外のことからは、自分が正しいと言える合理的な保証を得ることができない。 ミル『自由論』"
何が正しくて、何が誤っているか。ある時代における『悪」は別な時代で『善』になる事実は繰り返し起きている。長い時間をかけて多くの人々がいろんな角度で考察された結果で是非が決まるものだ、と。
だからその時代のエリートが「反論の自由」を奪い、エリートが結論づけるようなことがあってはならない。
この説が面白かったのはキューバ危機におけるケネディ大統領の事例が紹介されていたからです。
今にもキューバから核攻撃が仕掛けられるかもしれない、それほど事態は緊迫していたそうです。
そんな中、大統領は自らは対策会議に参加せず、あらゆる方面の専門家を緊急招集した上で、自分の最も信頼の置ける人物に悪魔の代弁者として、あらゆる提案の弱点とリスクを徹底的に突きつけるよう指示した、そうです。
当初はキューバを先制攻撃するしか選択肢はなかったところに、海上封鎖による隔離案が出され、双方のリスクの徹底議論の結果をそれぞれ大統領に報告。海上封鎖案が最終的に選択された、という経緯。
議論の流れは当初から先制攻撃が非常に有力、強力だったようで済んでのところで止まりつつう、最終的に攻撃回避できたのは、「悪魔の代弁者」を議論に投入できたから。
この緊急時にその判断ができた資質に感服。
反論の自由を認めた社会、というよりはリーダーに求められる批判的資質、状況判断の態度、といったところかもしれませんが、そうあるための示唆が『自由論』にもあるようです。
"その人の判断が本当に信頼できる場合、その人はどうやってそのようになれたのだろうか。それは、自分お意見や行動に対する批判を、常に虚心に受け止めてきたからである。どんな反対意見にも耳を傾け、正しいと思われる部分はできるだけ受け入れ、誤っている部分についてはどこが過まりなのかを自分でも考え、できれば他に人にも説明することを習慣としてきたからである。"