birdiswitch’s diary

読んだ本を個人的に記録するためのもの

武器になる哲学 第1章 「人」に関するコンセプト

「人」に関するキーコンセプトは14紹介されています。

 

01 ロゴス・エトス・パトス -論理だけでは人は動かない
アリストテレス

02 予定説 -努力すれば報われる、などと神様は言っていない
ジャン・カルヴァン

03 タブラ・ラサ -「生まれつき」などない、経験次第で人はどのようにでもなれる
ジョン・ロック

04 ルサンチマン -あなたの「やっかみ」は私のビジネスチャンス
フリードリッヒ・ニーチェ

05 ペルソナ -私たちは皆「仮面」を被って生きている
カール・グスタフユング

06 自由からの逃走 -自由とは、耐え難い孤独と痛烈な責任を伴うもの
エーリッヒ・フロム

07 報酬 -人は、不確実なものにほどハマりやすい
バラス・スキナー

08 アンガージュマン -人生を「芸術作品」のように創造せよ
ジャン・ポール・サルトル

09 悪の陳腐さ -悪事は、思考停止した「凡人」によってなされる
ハンナ・アーレント

10 自己実現的人間 -自己実現を成し遂げた人は、実は「人脈」が広くない
エイブラハム・マズロー

11 認知的不協和 -人は、自分の行動を合理化するために、意識を変化させる生き物
レオン・フェスティンガー

12 権威への服従 -人が集団で何かをやるときには、個人の良心は働きにくくなる
スタンレー・ミルグラム

13 フロー -人が能力を最大限に発揮し、充足感を覚えるのはどんな時か?
ミハイ・チクセントミハイ

14予告された報酬 -「予告された」報酬は、創造的な問題解決能力を著しく毀損する
エドワード・デシ

 

 

報酬、認知的不協和など、学生時代に学んだことのある内容も幾つか含まれていました。学生の頃もこの辺の講義は面白かったしレポートも真面目に取り組んだ記憶がありますね。

 

個人的に特に印象に残ったのは、予定説、ルサンチマン、悪の陳腐さ、ロゴス・エトス・パトス、です。

 

自由からの逃走、アンガージュマン、は大事な気づきがあるなと感じつつ、人に説明できるほどには理解に至らなかった。要復習の2つ。

 

ここではまず3つに絞って、感想をまとめたいと思います。

 

 

 

02 予定説 -努力すれば報われる、などと神様は言っていない
ジャン・カルヴァン

 

宗教改革で習ったカルヴァン。お金で罪を贖罪できる免罪符がおかしい、のはとてもわかりやすい主張です。それどころか、「現世で良い行いをしようが悪い行いをしようが、どんな努力をしたかなんてそんなものは関係ない。天国に行ける人は予め決まっている」という考えを唱えていたそうです。

 

そんなん言ったら、みんな無気力になっちゃうのでは?と感じました。努力した分だけ報われるという考え(仏教の因果律)の方がしっくりきます。

 

けど実際はこの予定説が生き残り、人々に支持され、民主主義や資本主義のもとになっていった、というから驚きました。

 

予定説の世界では、誰が救済の対象になっているか、知る術はないそうです。自分が救済の対象かどうかわからない中で、「神に選ばれた救済対象の人間が不道徳な行いをするわけがない。倫理的に真っ当に生きている自分こそが救済の対象にちがいない。」そう考える人が多かったそうです。

 

結果的に、世の中の倫理観が高まり勤勉な職業家が増えたことで資本主義の基礎となった。そう言われるとわかるような、納得できないような不思議なコンセプトです。

 

マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』にこの点が詳しく論理展開されているそうなので、気力のあるときに読んでみたいと思います。

 

 

 

09 悪の陳腐さ -悪事は、思考停止した「凡人」によってなされる
ハンナ・アーレント

 

 ナチスドイツによるユダヤ人虐殺は600万人の被害者がいました。人が人を処刑する、という瞬間を現実として捉えると、処刑をする側にも心理的な負担がかかるもので、現在の死刑執行でも一人の人間に「自分が殺した」という負担を背負わせない仕組みがされる話を聞きます。

 

アドルフ・アインヒマンは虐殺計画の一連のプロセスを考案、運営しました。彼の計画の巧妙で恐ろしいところは、当事者はただただ流れ作業のように役割を果たせば、「人を殺す」という心理的な負担を感じることなく、結果、誰のせいともなく、大量の人が殺害される、という点でした。

 

ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』に、実際にその選別の過程に遭った体験が綴られています。

 

ユダヤ人の収集、移送、判別は、一つ一つのプロセスの意味を感じさせないほどに細かく細分化されていました。ユダヤ人を集め名簿を作成し収容所へ送る過程でも、集合場所に連行する、名前を聞き出す、男女に仕分けする、健常者を抽出する、所持品を集める、一人一人に番号を割りあてる、列車に乗せる、ある目的地に移送する、、、などなど一つの行為の意味を薄れさせています。

 

もし、ある番号帯が割り当たったら死が確定する、とわかっていたら、番号付けを行う人物は負担を感じてしまい、任務に背くこともあるかもしれない。健常者の判別でも目的地への移送でも、本当は死の決定につながっている局面でもそれを感じさせず「自分はただ決められた作業をしていただけ」というシステムを作り上げました。

 

こういうシステムに組み込まれると、人間はひたすら従順に悪事に加担することになる、という警鐘を発したのが著者のハンナ・アーレントで、アインヒマンが戦後、拘束され裁判にかかる模様を傍聴し、そのメカニズムを検証した人物です。

 

"連行されたアインヒマンの風貌を見て関係者は大きなショックを受けたらしい。それは彼があまりにも「普通に人だったからです。」

 

"「ナチス親衛隊の中佐でユダヤ人虐殺計画を指揮したトップ」というプロファイルから「冷徹で屈強なゲルマン戦士」を想像していたらしいのですが、実際の彼は小柄で気の弱そうな、ごく普通の人物だったからです"

 

"アーレントがここ(「悪の陳腐さ」という言い回し)で意図しているのは、我々が「悪」について持つ、「普通ではない、何か特別なもの」という認識に対する揺さぶりです。"

 

"アインヒマンが、ユダヤ民族に対する憎悪やヨーロッパ大陸に対する攻撃心といったものではなく、ただ純粋にナチス党で出世するために、与えられた任務を一生懸命にこなそうとして。この恐るべき犯罪を犯すに至った経緯を傍聴し、最終的にこのようにまとめます"

 

 

"「悪とは、システムを無批判に受け入れることである」と。"

 

 

"通常、「悪」というのはそれを意図する主体によって能動的になされるものだと考えられていますが、アーレントはむしろ、それを意図することなく受動的になされることにこそ「悪」の本質があるのかもしれない、と指摘しているわけです"

 

日々の生活の中で、世の中の風潮、論調に安易に順ずることが大きな悪事そのものを生み出すとしたら、自分たちの個人の意思に大きな責任が伴っていることを自覚して生きていく必要がある、そう思いました。